それは、家庭でもなく、学校や職場でもない、第3の場所かもしれない。特別な建物の名前ではなく、人と人がつながり、気持ちを受けとめ合える空間のことかもしれない。
居場所に集まる人たちの声や表情は、孤立をやわらげ、生きづらさを感じている日常に、「あたりまえの幸せ」を作ってくれます。
今回の特集では、さまざまな「居場所」と、「居場所が持つチカラ」を取り上げます。私にとっての「居場所」とは何なのか。答えは見つからなくてもまずは考えてみませんか。
居場所って何だろう
「居場所」の意味やチカラは人によって変わるもの。今回は、こころの障がいと向きあってきた2人にとっての「居場所」を聞きました。

小野寺さん
中学生からひきこもりや入院を経験。しろひげ在宅診療所でピアサポーターとして仕事をしたのち、現在は専門学校でこころの障がいについて学んでいる。
-小野寺さんは学生時代にひきこもりを経験されましたが、その頃に居場所はありましたか?
ひきこもるようになってから、最初の衝突は家族でした。中学3年生で受験を控えた大事なときに学校に行けなくなってしまったので、家族と会うと「学校はどうするの?」「将来どうするの?」と聞かれ、心配や迷惑をかけてしまっているのは自覚していましたが、自分でも分からなかったし考えたくもなかった。
それに嫌気が差す毎日で、家での居場所はほとんどないに等しかったです。「道から外れてしまっている」という感覚だけがずっとあり、家族と食卓を囲む時間がとても苦痛で、逃げるように素早く自室に戻っていました。
そんな苦痛を和らげてくれるのが学校やオンライン上の友人たちでした。相談などをしていたわけではなく、ただ楽しく会話をしたり一緒にゲームしたりして、道から外れているという感覚を持っていた自分に対して、対等に関わってくれることにとても救われていました。
次第に家族も「不登校である息子を道に戻す」というのをいい意味で諦め、今の自分に合った進路を探したりしてくれて、少しだけ家での居心地も良くなりました。
-そうした経験を経て感じる、小野寺さんにとっての「居場所」は?
人それぞれさまざまな「居場所」があると思いますが、多くの人に共通していることは「落ち着く場所」や「自分らしくいられる場所」なのかな?と思っています。
特に自分がそれを感じて、居場所だなと思う瞬間は「人と居るとき」です。出会いはさまざま。学校であったり、オンラインゲーム上であったり、家族であったり。しろひげ在宅診療所で出会った方々もそうだと言えます。
自分は居場所があることで、「難しかったら、いったん戻ればいいや」と、さまざまな物事に1回は挑戦しようと思えるようになりました。言わば「安全基地」のようなものかなと思っていて、帰れる場所があるというのは自分にとって大きな安心要素なので、居場所があって良かったなと感じています。たとえ挑戦に失敗しても、変わることなく対等に関わってくれますからね。
-挑戦や失敗があっても、誰かといることが「自分らしさ」に戻るチカラになるのかもしれないですね。「居場所がない」という人も多いですが、それはどう思いますか?
もちろん、「そんなにいろんな人と話すのはイヤだ」と感じる方もいるでしょう。1人の時間の方が好きな方や、ましてや自分に居場所は必要ないと思う方もいるかもしれません。それでいいと思います。
自分も1人の時間が好きな時もありますし(笑)。皆さんが心地よいと思える時間を過ごしてほしいです。
年々、ひきこもりの方が増えていますが、それは「SOSの声を上げられる人が増えてきた」と自分は前向きに捉えています。
ただ、その中にも居場所がないと感じている方はたくさんいらっしゃると思います。そうした方へ、まずは「よく頑張りましたね、生きててくれてよかった」とお伝えしたいです。
きっとその一言だけでは足りないくらい、ここまで歩んでくるのに多くの困難があったと思います。
そのうえで、辛いときや孤独を感じるときに、心から肯定してくれるような居場所が1つでもみなさんのことを見つけてくれるように願っています。
