ケニアの離島で2年間過ごしたのが、約20年前になります。水も電気もない地域で医学部を卒業して2年しか経っていない「医師という肩書きがあるだけの医師」がそこで活動をしていました。
その離島では、「医療」を提供する前に、「生活」「当たり前の日常」を確保することが大前提でした。病気のあるなしに関わらず、いかに毎日を普通に生きることが大変であり、また、それがいかに尊いことなのかということに気づかされ続ける毎日でした。離島でほぼ全ての住民の血液検査をしていくと、エイズの罹患率が約42%であり、エイズで親を亡くした子どもたちの多くが、結果としてエイズ孤児になっていました。
両親がおらず、学校に行けないだけでなく、住む家すらなく路上で生活することが当たり前。生活するために10 歳前後の女子たちは買春をする。それが幸せとか不幸とか評価する以前の問題として、そこにはそのなかでしか生きていけない現実がありました。毎日「生」そのものであり、一方で日常に「死」があふれていたのです。
私は今、江戸川区で在宅診療という仕事をしています。昨年は約250人の方々のお看取りを自宅で行いました。また、心に傷を負って、生きる日々に苦しみ続けている方々の診察もしています。ケニアの離島と同様、今の私の日常にもに「死」や「生きることへの不安」が身近にあるのです。
ケニアでの現実と私が今関わっている在宅診療での現場に共通することは、「死を感じること」が必ずしも不幸せとは言えないということです。ケニアの現実のなかでは、多くの人たちは日常の生活においては笑顔であふれていました。日本の価値観で見たときにどんなに環境が過酷なものであったとしても。
そして、今、在宅診療で私が関わり、自宅で死を迎える本人や家族も笑顔に包まれながら最期を迎えることがほとんどです。一方で、生活環境そのものには恵まれながらも「生きる」ということに不安を抱え、常に「死にたい」と悩み続ける方々とも日々接しています。
ケニアでも日本でも人はどのような環境でも「自然な最期を迎える」ことができるし、笑顔になることができる。エイズにかかって最期を迎えることが自然なのか、精神的に苦しんで自分で死を選んでしまうことが自然なのかと思うかもしれません。ケニアにおけるエイズで命を失うこと、日本で末期がんで亡くなること、心を病んで自分で死をぶこと、それぞれ「病気」というプロセスを経過しており、「老衰」という自然死ではないことは事実です。
ただ、人の死に日常で接していると、病気だろうが、老衰だろうが、それが何歳だろうが、人は「いつかは死ぬ」とその真実の前では全て「自然」であるように私は感じています。
この仕事をしていると、人は病気になったから不幸せなわけもなく、長生きできなかったから幸せではなかったということではないといつも感じさせられます。病気で亡くなることで、他の人から比べて限られた人生の時間であったとしても、「どう生きたか」「どう最期を迎えることができたのか」、そこに人が感じる幸せの原点があるような気がしています。